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沖縄の屏風の隠しメッセージ?

「私の今年の抱負は『温故知新』です」と、201211日のブログに宣言してしまいました。

毎月1回慶応義塾大学の教室で開催される日本論語研究会で論語を学び始めた事がきっかけで、古典から学ぶ、歴史から学ぶということを今年の目標にしたのですが、またその事がきっかけになり、中国の漢文全般にも興味を持ちました。

下田出身の陽明学者中根東里は絶後の詩才を讃えられた方でありましたし

漢文の成り立ちを紐解く事で、改めて日本語の再学習にもなりますし、中国文化を知る一端にもなります。
気になった漢文はなるべくきちんと意味を考えようと思っています。

私の尊敬する下田の郷土史家、土橋一徳先生も漢文に精通していらっしゃいます。

石碑などは漢文が多いですし、歴史を知るには漢文は必須科目なのですね。


前回のエントリー「国を護るということ」を書いていた時、自衛隊関連の情報を探していて偶然見つけました。

http://www.boueinews.com/news/2002/20021215_1.html

Okinawa5_2

この屏風って、沖縄県知事の会見などでよく見かけますよね。

鳩山総理の沖縄訪問の時にも…

http://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/actions/201005/23okinawa.html

Okinnawa3_2

なんて書いてあるんだろう。

ワクワクしながら調べ始めました。

http://www.pref.okinawa.jp/chiji_inamine/byobu/kanbun.html

Okinawa7_2

「万国津梁の鐘」の文字(第1知事応接室の屏風)

琉球国は南海の勝地にして三韓の秀を鍾め、大明を以て輔車(ほしゃ)となし、日域を以て唇歯(しんし)となして、此の二つの中間にありて湧出せる蓬莱(ほうらい)島なり舟楫(しゅうしゅう)を以て万国の津梁(しんりょう)となし、異産至宝は十方刹(さつ)に充満し、地靈人物は遠く和夏の仁風を扇ぐ。故に吾が王、大世(おおよ)の主、庚寅(かのえのとら)に慶生す。尚泰久(しょうたいきゅう)なり。
茲(ここ)に、宝位を高天に承(う)け、蒼生(そうせい)を厚地に育む。三宝を興隆し、四恩に報酬せんがために新たに巨鐘を鋳(い)て、以て本州中山国王殿の前に就(つ)け、これを掛着(かいちゃく)す。憲章を三代の後より定め、文武を百王の前よりあつめ、下は三界の群生(ぐんせい)を済(すく)ひ、上は万歳の宝位を祝ふ。辱(かたじ)けなくも、相国の住持溪隠安潜叟(けいいんあんせいそう)に命じて、銘を求む。銘に曰く。須弥(しゅみ)の南畔、世界洪宏(こうこう)たり。吾が王出現して、苦しめる衆生(しゅうせい)を済ふ。流れを截(た)つ玉象、月に吼(ほ)ゆる華鯨(かげい)、四海に泛溢(はんいつ)し、梵音声(ぼんおんじょう)を震はし、長夜の夢を覚まし、感天の誠を輸(いた)す。堯風(きょうふう)は永く扇ぎ、舜日(しゅんじつ)は益ます明らかなり。  戊寅(つちのえとら)のとしの六月十九日辛亥(かのとい)のひ    大工 藤原国善

住相国溪隠叟、これを誌(しる)す。

と、ありました。

要約すると、

(琉球国は、大明国(中国)を支えとし、日本と兄弟のよしみを結び、

船を万国の架け橋として貿易を行う、という意味のようです。

三韓とは現在の韓国のことでは無く新羅、百済、高句麗のことだと考えられます。

李氏朝鮮を三韓と表記はしないと思います。


この漢文の大意は、琉球(現在の沖縄県)は明(現在の中国)に従属しますよっていう、ある意味で琉球王国の属国の宣誓文章ではないですか?

調べてみるとこの鐘が作られたのは1458年のようです。

http://oki-park.jp/shurijo-park/about/ryukyu.html

沖縄県の首里城の公式HPにはこう説明されています。

海外貿易の気概を刻む万国津梁(ばんこくしんりょう)の鐘を正殿に掛ける。

この漢文の意味は本当にそういう意味なのでしょうか? 


http://www.dc.ogb.go.jp/nahakou/rekishi/01_2.html

仲井真知事って、確か中国人の子孫を標榜していますよね?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B2%E4%BA%95%E7%9C%9E%E5%BC%98%E5%A4%9A

この画像は、まるで日本国が中華人民共和国に頭を下げてるみたいです。

Okinawa9_3

前記のような意味がこめられた漢文の屏風の前で、日本国の代表である総理が沖縄知事に深々と頭を下げ、申し訳ありませんでしたという。

これって中国人が見た時、何と思うでしょうか。そういう想像力も無いのでしょうか?


そういえば前沖縄県知事の稲嶺さんも中国出身でしたよね。当時は日本だった大連ですけれど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E5%B6%BA%E6%81%B5%E4%B8%80

この屏風、一体いつの頃から沖縄県知事室に飾られたのでしょうか?

http://www.pref.okinawa.jp/chiji/byoubu/01.html

写真を見ると最後に平成三年葉月と読めるのですけれど。

Okinawa8_2

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/summit/ko_2000/outline/jp/info.html

沖縄でサミットが開催されたのが20007月。

平成3年は1991年ですから、今から21年も前からあったようですね。

葉月は旧暦の8月。さて1991年の8月に沖縄で何があったのでしょうか?

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-150823-storytopic-180.html

どうやら旧社会党系の大田昌秀さんの頃のようです。

この屏風を発注して知事室に飾った人は、この文章の内容を知っていての事なのでしょうか?

県知事室だけじゃなく、ありとあらゆる公式見解の場所にわざわざ運んできているのは何故でしょうか?

そしてそれはいったい何の目的なのでしょうか?

知事室に飾られる屏風は、「沖縄は日本ではない琉球王国である」という主張に見えなくもありません。

まさか歴代の沖縄県知事が反日感情をお持ちとは思えないのですが。

沖縄県知事のHPのどこにも日の丸が無いのが気になりました。

少し琉球王国の歴史について調べてみようかなと思っています。

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コメント

>沖縄県知事のHPのどこにも日の丸が無いのが気になりました

知事室にも、日の丸は置いてませんよ。

今年第一回目1月14日の「尖閣諸島開拓の日」(尖閣の日)にも、仲井真・沖縄県知事は欠席、それどころか同日に北京詣でに出かけています。

仲井真県知事の視線は本土ではなく中国に向いていますね。基地問題など、日本人同士で解決すべきです。(この皮肉の意味がお分かりでしょうか)
アメリカ軍がいなくなって一番喜ぶのはどこでしょうね?

アメリカ軍がいやなら、自衛隊を軍隊として配備すべき国防要地ですが沖縄はそれもいやだという。中国にお渡ししたいのでしょうか。

投稿: 雪華 | 2012年3月 6日 (火) 13時04分

皇室や糸屋ゆかりの大根焚と粕汁

昭和16年正月頃からラジオ放送を通て日本全土に古式道理の朗々たる
葛野守様の歌詠や、長皇子と各宮家や在日全権などと武官を分家(井上氏)と
河内守様や三河守様に愛宕守様など桃園親王家(本家)が招ての御子(女)様
ご誕生の礼式の様子や官位伝達式と勲章伝達式の様子が一挙生放送され
記紀から風土記・物語(各・国書紀)が放送されると隣・近所集って聴ていた
人々は皆々平伏し大元帥閣下から四書五経手習始ノ礼式を自主的に聴く事で
勉強始とした大日本帝國陸軍・海軍の部隊が大変多かったのを御存知ですか。

投稿: 環境大学新聞 | 2012年3月 8日 (木) 11時46分

雪華さん、コメントありがとうございます。
情報も有難う御座います。
沖縄県は日本国であることに対しどういう思いなのでしょうかね。

*****

環境大学新聞さん、コメントありがとうございます。
でも、おっしゃっていることが解りません。
解りやすいコメントを書いていただけますか?

投稿: tomiyo | 2012年3月12日 (月) 21時40分

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