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歴史に学ぶ~日本の開国と伊豆下田の関係~ その3

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(下田出身の儒学者・中根東里)

 それでは資料の下田小学校校歌をご覧頂きたいと思います。二番を見てください。

下田出身の偉人を歌っています。「愛の正長・技の蓮杖・学の東里を育みて」とあります。この学の東里は、下田出身の儒学者の中根東里のことです。下田の歴史上の人物では、一番日本論語研究会に近いといえます。2010年の2月に、文藝春秋に三回にわたり中根東里の特集記事が出まして、その著者である茨城大学・磯田先生によれば「絶後の詩才を讃えられながら、身を隠すように生きた清貧の儒者」だそうです。私といえば中根東里は江戸時代の陽明学者という事ぐらいしか認識がありませんでした。開国の頃より随分とさかのぼりますが、ご容赦を頂きたいと思います。

 さて、中根東里とはどんな人物であったのかということを、少しご説明したいと思います。東里は1694年の生まれで17歳の時父の死に遭い、学問好きだったこともあり剃髪し仏門に入りました。

荻生徂徠

(

おぎゅうそらい

)

室鳩巣

(

むろきゅうそう

)

に学び、清貧の生活を続け、40代で陽明学と出会います。「致知格物・知行合一」を唱える実践学は東里の心を捉え、「孔子伝授の心法は、ことごとくこの書にあり。なんぞこれを読むことの晩きや」と叫んだそうであります。そしてそこから陽明学者として大成していくことになります。一言で中根東里を表現するならば、学ぶことや様々な人間関係に対し、自分の理想をとことん貫いた人物といえます。

 東里が陽明学に出会うきっかけとなった事件があります。

江戸の弁慶橋近くの木戸番をしていた頃のことで、竹の皮を使った草鞋を編んでそれを売り、生計を立てていました。わずかなお金がたまれば書物を買って読むという生活です。

そのうち近所の町屋の子供たちが自然に集まってきて字を教えてくれなどといい、地面に棒きれで「いろは」を書いて文字などを教えていたようです。

そういう時代に東里は、虐待を受けている子供に出会います。幼くして母親を失い、父親が知人の女にその子を預け、その先で虐待にあい食べるものも食べさせてもらえないような生活だったようで、泣いては眠り起きては泣く、そんな幼子はいつの間にか東里の目の前からいなくなってしまったのです。

「自分はいったい何のために、これまで学問をしてきたのか」そんな思いの中で、今までほったらかしにしておいた友人から贈られた本・王陽明全書を読み、先ほど申し上げました境地に達したのです。昔から虐待はあったのですね。ここでちょっとご紹介をさせていただきます。

虐待にあい「僕はもうここで死ぬんだ」とあきらめかけた幼少の頃、これでもか、これでもかという逆境の荒波にもめげず、不撓不屈の精神で立ち向かい平成のKOキングと呼ばれた男、坂本博之さん。ご自身の虐待の体験から、現在は児童養護施設の子供たちへの支援などを行っています。坂本博之応援団下田支部長の私としては、この機会に皆様にご支援をお願いする次第でございます。

 東里が後世に残した言葉は沢山ありますが、私自身のキャッチフレーズといいますか、いつも心に留めている言葉が二つあります。

ひとつめは「施して報を願わず、受けて恩を忘れず」、これは早稲田大学の創設者、大隈重信が演説で引用したことでそちらの方が有名になってしまっているようです。

意味は、人に施しや親切を行っても、そのお返しを願ってはいけない。また施しや親切を受けた時には、その恩を忘れてはいけない。忘れずにそれに報いることだという事です。

その通りですよね。

でも日頃つい忘れがちなことです。

私はこんなにあなたにしてあげているのに、なんであなたはやってくれないの?私はこんなに愛しているのに、なんであなたは愛してくれないの?こんな風になっては人間はおしまいです。

私は東里のこの言葉は、神道を根源とする日本人の慈愛の心を言っているのだと感じました。

神道は共同体を守るための土着信仰でありますから、国家や郷土、そして家族の和を大切にする日本の文化そのものです。

そこには慈愛の心がないと上手く行きません。

「施して報を願わず、受けて恩を忘れず」は、神道を根源として日本人がつくりあげてきたある種の道徳観なのだと感じます。

だからこそ政治の場に身をおく者として、いつも心がけたいことなのです。一票を頂いた恩義は決して忘れないけれども、一票がほしくて政治を行ったらいかんのです。本末転倒です。

政治を行うということはいわゆるお金の配分にほかなりません。一票をもらったあなたの直接的な利益にはならないけれども、自治体という市民の集合体をより良く継続させるためにはこの政策を押し進めます。そういう私を良しとしないならば、次の選挙で一票はいりません。諸事問題が起こるたびに、腹をくくって本気で政治に取り組む決意をさせてくれる「施して報を願わず、受けて恩を忘れず」です。

 ふたつめの言葉は「出る月を待て、散る花を追うことなかれ」です。

この言葉は東里の弟の経済的困窮から、その娘の芳子を引き取り養育していた頃のものです。

当時東里は53歳です。いつ自分が死ぬかもわからない。自分が死んだら残された芳子はどうなるのか、そんなことを考えていた時に浮かんだ言葉だったようです。

人生において、喜びの瞬間は短い。どんなに大切な人との別れも必ず来る。しかし、桜の花は散っても月は必ず出てくる。それを待つ時間をどのように生きるかが「人」である。こんな意味でしょうか。

物事には全て終わりがあって始まりがある、私はそんなふうに理解をしています。

桜の花が潔く散っていくように、けじめを付けて終わらせなくてはならない事、終わる時期が来た事はすっきりと跡形もなく終わらせるのがよいのです。終わらせないと次の段階に進むことが出来ません。

潔く終わらせるという発想は、ともすれば歪んだ左翼思想の持ち主から「戦争賛美」だの「特攻隊美化」だのと言われそうですが、潔く終わるということも又日本人の美意識に根ざした思考であると考えています。

散る桜を愛おしく思う感性、四季折々の木々の佇まいに美しさを見出す感情こそ、四季に恵まれた日本独特の感性ではないでしょうか?

夏は蝉時雨、秋は落日、冬は冴え冴えとした朝の空気、春は散る桜。四季のめぐりに心を寄り添わせながら、日本人は心を研ぎ澄ませ、繊細な感性を四方の海に護られながらその特有の感性を育んできました。

一つ所にとどまらない四季の移ろいは、日本人の心に陰影を添えます。

永遠などこの世にはないのだという無常観。決してネガティブな意味での無常ではありません。

全ては移ろい、全ていずれは、滅すると言う達観。日本人なら誰もが心の根底に持つ悟りといってもいいかもしれません。

繁栄の隣には衰退が、輝かしい生命のかたわらには死が、光のそばには影が寄り添っていることを感覚で知っています。

日本人特有の物事への淡白さ、潔さはすべてを明らかに視るという意味での「あきらめ」でもあれば、又独自の美意識でもありましょう。

咲き誇る花が美しいのは、やがて散る定めにあり、しかし、散るからこそ花の命の華やぎが美しいことを知っています。影がなくては光もありません。その陰影に底深い意味を見出す民族でもあります。

そして日のあたらない時期をどのように生きるのか。影での働き、見えないところでの働き。内助の功。それこそが人の生き方として重要なのだと説いているのだと理解しています。

 先ほど中根東里は、学ぶことや様々な人間関係に対し、理想を貫いた人だとお話しましたが、理想を貫くときたった一人では何もできません。必ずそこには影になる人がいます。影に徹し、支える人がいます。東里は清貧な生き方を貫き、数々の著作をしたため、後世に残る名言を残しました。

私は東里を支えた影は姉であったと思うのです。この方は浦賀に嫁いだのですが、自分の母を連れて行きます。年老いてから引き取ったのかもしれませんが、いずれにしてもこの時代に嫁ぎ先で実家の母の面倒を見ているのです。東里やその弟が、女の目から見れば好き勝手に生きているのを、支え続けたのです。引き取った芳子も育てきれず、結果的にこの姉が育てています。

お姉さん、本当に立派です。この時代の日本女性としての真の働きをされた方なのでしょう。まさにやまとなでしこの鏡です。この姉なくしては、東里は自分の人生を貫いていけなかったでしょう。人間はみんな誰かに支えられて生きているのです。

(まとめ)

 さて、歴史に学ぶ・日本の開国と伊豆下田の関係というお話をさせて頂いた訳なのですが、今私たちが求められているのは、この開国という大きな歴史の転換点から何を学び、どのように今に活かすかということです。

それには先人が命をかけ欧米列強から守りぬいた、日本という国の価値が何であるのかをきちんと本質を理解しなくてはなりません。

日本の国が存在する価値ってなんなのだろうという問いかけは、私自身がそして皆さん自身が今ここに存在する価値って何なのだろうという問いかけと全く同じです。

日本の文化や精神性は、この日本の領土の中でしか、海に囲まれた小さな島国でしか生まれなかったものです。

日本という世界でも稀有な国家の枠組みの中でしか育たなかったものです。

私たちは遙かなる神代の昔から綿々と受け継がれてきた領土と文化を今後継しました。そして次の世代に後継していきます。

全てを受け継ぎ全てを繋いでいく。後継そのものが「国家の価値」だと思うのです。未来へ繋ぐことが私たちの価値であり「より良く生きること」なのです。

今日本は大きな危機の中にあります。尖閣や竹島、北方領土などの外からの侵略行為だけでなく、内部崩壊の危機にあるのです。

侵略は領土だけではありません。文化もです。独自の文化が無ければそれは独立国家ではありません。

主観的要素の強い、間違った視点での歴史を生徒に教え込み、祖国を嫌いだという反日日本人を作り続けている日教組と、文化侵略を許すマスメディアの問題。

例えば公共放送であるはずのNHKがジャパンデビューと言うドキュメンタリー番組で台湾を取材して、偏った意見だけを編集し放送しました。取材相手の台湾人本人からの抗議も起こりました。歴史を語るとき全て功罪ともに考えなければいけないはずです。ところがNHKは「罪」の部分だけ抽出しました。これが果たして日本の公共方放送の姿と言えるのでしょうか?

そして教科書採択問題。

教科書問題は、実は日教組問題そのものだと私は感じています。

昨年の11月に行われた自民党女性局の政策研究会で、私は自民党政務調査会文部科学部会長・下村博文先生の分科会に出席しました。

そこで教科書採択についての詳しい経緯を伺うことが出来ました。

教科書は表向き教育委員会が選んでいます。

選んでいるにもかかわらず、中身を精読している人はほぼいないのが実情らしいです。

何故ならば100冊くらいの教科書候補をずべて読まなくてはならないからです。

そんな面倒なことはなるべくしたくないだろうし、他のお仕事もされている方もいますから物理的に無理なんだと思います。

そこで登場するのが、教科書専門の調査員です。

調査員が調べて報告書を教育委員会に上げる、その報告書を見て教育委員会が採択するという仕組みなんです。

報告書はどんなものかというと、

A社 かくかくしかじか、こんなに良い所があります。ココもいいです、ほらこんなところも・・・

B社 こんなところは良いですよ。

C社 記述なし

これだったら、当然ですけれど良い所がいっぱい書かれたA社を選びますよね。

報告書を書く教科書専門の調査員は、社会科の教員、国語の教員等、なんと日教組の皆さんです。

(日教組に大きな影響を持つOBも含まれているとか)

つまり自分たちが使うのに都合の良い教科書を優先します。

要するに日教組にとって都合の良い記述が多いことが最前提となっているからくりです。

大東亜戦争だって日本がすべて悪だったをいう視点で書くことは可能なのです。

それがまかり通る現状に、私は強い憤りを覚えます。

客観的事実を適確に伝えれば歴史は学べます。

でも実際の教育現場には、教科書の、教師の主観的事実がかなり入っているのです。

だから漠然と日本は悪い国だという罪悪感、

贖罪感

(

しょくざいかん

)

を生徒に教え込むことが可能なのです。

そして教科書会社は採択してもらえないと商売になりませんから、教科書が改訂のたびに、日教組の都合の良いように左傾化していく仕組みになっているのです。

教科書に書いてあるから正しいということはありません。特に歴史に関しては。

現在の日本の教科書は主観的事実に偏っていて、しかもその「事実」は日本側から見た事実ではありません。

何がどうなったのかという事実のみを正確に伝えればいいだけなんです。

日本人が日本を愛せなければ、誰が日本を愛するというのでしょうか?

まずは国会議員の皆さんに、現在は開国当時よりも複雑で深刻な状況に置かれているという問題意識を持って頂き、国会で取り上げていって欲しいと思います。

国を愛する心が右翼的と言われる捻れた現状を打破しなければいけません。

君が代や日の丸が戦争賛美と言うのも間違った認識です。

戦争には善悪などありません。あるのは勝ち負けだけです。勝ったほうが正義になるだけなのです。日本は大東亜戦争にたった一度だけ負けた。ただそれだけです。

それをずっと引きずる必要などありません。日本は大東亜戦争以降他国と戦争をしていません。それは世界に誇れるべき事だと思います。長い歴史の中できちんと私たち自身が総括するべき問題であり、他国にとやかく言われるようなものではありません。

きちんと歴史と対峙する。その姿勢こそ今の私達に一番必要なものだと考えています。

そして私たち日本国民には、先人が命を賭し守ってきた領土、そして文化を次の世代に繋いで行く義務が課せられているのです。

 尖閣諸島中国漁船衝突事件、もう一昨年の事になりましたね。

私は尖閣侵略糾弾デモに参加して、ハチ公前広場でチベットのペマ・ギャルポ氏の街頭演説を聞きました。

最後にその時彼が何を演説したのかをご紹介したいと思います。

日本国が大和自治区にならないように。日本自らが国を守るという意思を明確に示すこと。今のんびり暮らしていけるのは国家があるからだ。私は難民になり50年、国家がないということがどれだけ惨めなことか。今まで先人から受け継いできたものを次の世代に必ず日本国として引き継いでもらいたい。

チベットの歴史を紐解くと文化侵略の恐ろしさ、国家侵略の狡猾さがよく理解できると思います。

今日の私の話を聞いていただいて、もし何かを感じていただいたら、どうかその思いをまず行動に移してください。それぞれのお立場でそれぞれのできる範囲で、でも必ず一歩前へ。

このことをお願いして、終わりたいと思います。本日はありがとうございました。

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