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国の価値とは領土と後継

子供の頃からずっと考えてきたこと、私は何のために生まれてきたのだろう、そして何のために死んでいくのだろうということでした。

私はずっと生まれてきた意味を知りたかったのです。

今振り返ると「生まれてきた意味が無いのならさっさと死んでしまいたい」という願望がとても強い子供時代だったように思います。

そんな私どうにか命を繋ぎ今日に至っているのは、やはり父や母、そして弟、息子、たくさんの血の繋がりが私を支えてくれたから。

実家の仏壇にある過去帳をめくってみただけでも、私の過去にはたくさんのご先祖様がいます。もっと遡って書かれていない方はどれだけの数になるのでしょうか。そういうたくさんの方の想いがあって私が生まれてきたことに気が付きました。

私がここにいる意味がおぼろげながらに解ってきた気がしています。

それは過去に生きてきた方々の想いをそっくりそのまま受け継ぎ、そっくりそのまま未来へ繋げることなのじゃないかな。

過去に生きた方々の想いってなんなのだろう…そこが歴史を学ぶきっかけになっています。

私の歴史解釈は、愛するもの、大切な物を守るための戦いが歴史そのものであるということ。

とっても情緒的なんですけど。

じゃあ愛するもの大切なものって何?と自問自答。

すぐ答えが出ます。

それは「あなた」だし、「下田」だし、「日本」なのですと。

私は私の愛するもの大切なもののために死にたいから、そのために生きていこう。

さて表題の「国の価値とは領土と後継」について。

「国の価値」が何であるのかが理解出来なければ、政治は安定しないし、国民も不安ばかりがつのります。

日本の国が存在する価値ってなんなのだろうという問いかけは、私自身が存在する価値って何なのだろうという問いかけと同じです。

日本の文化は日本の領土の中でしか、海に囲まれた島国でしか生まれなかったものです。

国という枠組みの中でしか育たなかったものです。

私は遙かなる神代の昔から受け継いできた領土と文化を後継しました。

そして次の世代に後継していきます。

全てを受け継ぎ、全てを繋いで行く

後継そのものが「国の価値」だと思うのです。未来へ繋ぐことが「生きる事」なのです。

昨年の尖閣諸島中国漁船衝突事件後、尖閣侵略糾弾デモに参加した時

渋谷ハチ公前広場でチベットのペマ・ギャルポ氏がこんな演説をしていました。

チベット問題は明日の日本の姿なのかも知れません。

それについては改めて記事にしたいと思います。

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日本が大和自治区にならないように国民は立ち上がれ。

日本自らが国を守るという意志を明確に示すこと。

今のんびり暮らしているのは国家があるから。

私は難民になり50年、国家がないということがどれだけ惨めなことか。今まで先人から受け継いできたものを次の世代に必ず日本国として引き継いでもらいたい…

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コメント

年末は慌ただしく過ぎていきます。
我が家では黒豆、なます、松前漬けを作って、おせち料理を整えています。
今は元旦からお店もやっているので保存食という意味合いは薄くなりましたけれど、伝統あるものなので、息子にはきちんとおせちの意味も伝えようと思っています。
出来合いのものより見かけ悪くても「その家の味」だって継承するものだと思っていますから。
お雑煮用のお餅も実家から届いて「年末だなあ」と感じます。
お歳暮で頂いた新巻鮭で三平汁が我が家の恒例の年末食。
寒い冬場を乗り切る知恵が詰まっていますよねえ。
日本食って本当に凄いと思います。

投稿: 冬桜 | 2011年12月29日 (木) 23時36分

冬桜さん、コメントありがとうございます。

そうなんです、年末主婦は大忙しです。
師は走ってるの見たことはありませんが、
主婦は走っていますよね。

下田のお雑煮は角餅を焼いたものと鶏肉青菜という、
いたってシンプルなもの。
青菜はせんすじ(京菜のことかな)かかき菜です。

それぞれの郷土の味、遺していきたいですよね。

投稿: tomiyo | 2011年12月30日 (金) 00時15分

>日本の文化は日本の領土の中でしか、海に囲まれた島国でしか生まれなかったものです。国という枠組みの中でしか育たなかったものです。

同意です。しかもその文化は世界が大切にしなければならない要素を多く含んでいます。今という時代だからこそ、やまとの時代から育まれてきた文化を世界に発信すべきときですね。
狭い国粋主義的了見から、和の文化を護れと提言しているわけでもなく。

投稿: たのかえる | 2011年12月30日 (金) 11時18分

たのかえるさん、コメントありがとうございます。

私が常々思っていることは、日本文化を世界に発信という大きな話ではなく、もっと身近に楽しみませんか?ってことなんですょ。
例えば私は洗顔のあとにタオルを使わず、手ぬぐいにしています。
手ぬぐいは洗うとどんどん色が褪せていきます。
色あせの楽しみがあるのです。

日本人が楽しんでいない和の文化なんてちゃんちゃらおかしいじゃん!そんなわけで、ここでも戦っております。私…

投稿: tomiyo | 2012年1月 2日 (月) 19時33分

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