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下田の歴史 私のルーツ その9 下田出身の儒者・中根東里 2

出る月を待つべし

散る花を追うことなかれ

(意味)

人生において、歓喜の瞬間は短い。大切な人との別れも必ず来る。

しかし、桜は散っても月は必ず出てくる。

それを待つ時間をどのように生きるかが「人」である。

リニューアルしたHPのフラッシュ、私のお気に入りです。ご覧頂けると嬉しいです。

中根東里がこの言葉を残した時、彼はどんな状況だったのでしょうか。

東里は晩年を下野国佐野(現在の栃木県とほぼ同じ領域)ですごします。

泥月庵という庵を結び、王陽明の「伝習録」を講義していました。

磯田道史先生によると、「東里の講義は、まことに実際的でわかりやすかった。

身近なことを入れて話すので、高尚なことを語っているのに、難しく聞こえない」

だそうです。

東里先生、私、先生を心から尊敬します!

小難しい言葉を難しそうに語るのはさほど困難ではありません。

平易な言葉で人に伝える。

それがとても大切な事です。

私の議会での一般質問や予算審議での質疑において、

市民の皆さんに解りやすいようにお話できているのかと振り返った時、

全然ダメなんですもの。

特に財政問題を取り上げることが多い私は、

財政用語や行政用語など一般社会ではあまり使われない言葉を使います。

使わないと質疑にならないのですけど。今の一番の課題です。

「聖人の学は、何も難しいものではない。

ただひとつのことがわかればよい。」

東里は、天理万物一体の理(ことわり)が解ればそれで良い、と言ったそうです。

そんなふうに優しく人に寄り添うように講義をされていたとするなら、

人気が出ないわけがありません。慕われないわけがありません。

貧しいながらも塾は盛況だったようです。

そんな時、東里の弟が娘をあずけに来ます。

そのいきさつは、東里の弟は四十過ぎに妻を迎えることが出来ましたが、

妻は女の子を生んですぐに死んでしまいました。

もらい乳をしながら育てたがあまりに頻繁で断られてしまいます。

乳に変えて粥を食べさせるなど、亡くなった妻の母と育てたようです。

その子が3歳になったころ義母も亡くなり途方にくれ、

もうどうにもならないというところで、東里をたよりその子を預けたのだそうです。

東里のところに預けた女の子、名を芳子といいます。

その頃の東里は村の人々の信頼も厚く、村の人々が家も建ててくれ、

(どんなに東里が村の人々に敬われ、慕われていたのかが解るエピソードですよね?)

そこでこの芳子を育てていきます。

東里は五十三歳、いつ自分が死ぬとも知れない。

自分が死んだら芳子はどうなるのか、そんな事を考えていたときに浮かんだのが、

出る月を待つべし

散る花を追うことなかれ

だったのだそうです。

東里は芳子の人間教育のために「新瓦」という本を書きます。

教育者として親心の全てをこめたのでしょう。

さて、東里先生について前回このように書きました。

中根東里という人は、学ぶことや、様々な人間関係に対し、

理想を貫いた人物なのだと思いました。

理想を貫く時、たった一人では何も出来ません。

必ずそこには影になる人がいます。

影に徹し、支える人がいます。

清貧な生き方を貫き、数々の著作をしたため、後世に残る名言を残した中根東里。

私は東里の影は、姉であったと思うのです。

この方は浦賀に嫁いだのですが、自分の母を連れていきます。

年老いてから引き取ったのかも知れません。

いずれにしても、この時代に嫁ぎ先で実家の母の面倒をみているのです。

東里やその弟が、女から見れば好き勝手に生きているのを、

影で支え続けたのです。

芳子も東里は育てきれず、結果的にこの姉が育てているらしいです。

お姉さん、本当に立派です。

この時代の日本女性としての真の働きをされた方なのでしょう。

まさにやまとなでしこの精神。可憐で繊細だけど、心は強い。

この姉なくしては、東里は生きていけなかった。

みんな誰かに支えられているのですね。

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コメント

中根東里は、王陽明の「伝習録」でしたか。

やっぱり。行動学です。

有言実行です。

中根東里の続編に期待します。

授業は分かりやすいのは一番です。

なぜ、小林節慶應義塾大学教授が受けるのか。

それは、憲法の授業が分かりやすく、熱いからです。

僕も講演などで、心がけています。

投稿: たむたむ | 2011年12月 7日 (水) 09時25分

HPのフラッシュ、月と桜が美しいですlovely
フラッシュ以外の和服姿もお美しい~。

投稿: たのかえる | 2011年12月 7日 (水) 10時15分

たむたむさん、コメントありがとうございます。
分かりやすくて熱い、是非心がけたいです。
難しいですけど・・・

投稿: tomiyo | 2011年12月 7日 (水) 20時00分

たのかえるさん、コメントありがとうございます。
HP見てくださったんですね。
重ねてありがとうございます。
月と桜、HP製作者がこだわったと言っていました。
プロフイールの和服姿・・・
和服は好きなんですが、姿はエラーなんじゃないかと・・・(汗)

投稿: tomiyo | 2011年12月 7日 (水) 20時04分

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