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下田の歴史 私のルーツ その3 坂本龍馬の飛翔 勝海舟と山内容堂

吉田松陰が下田に来てから9年後の文久三年(1863年)、

坂本龍馬に関わる物語がありました。

龍馬は土佐藩を脱藩し身を隠しながら活動していた頃、

勝海舟と出会います。

そのいきさつはここに記すまでもありません。

このような記録が残されているようです。

土佐藩「文久戌年御上京一巻御日記、中老月番記録、道成日記」(寺村左膳筆)

正月十一日 朝五時品川沖出帆、北風追手よく、蒸気力も充分にて、

暫時の間に浦賀を出て城ヶ島より西に向かいて走る。

追々西風強くなり、船動揺はじまる。七つ頃伊豆下田の湊に入る。

お上にも少々お船酔い、外も同様なり。今夜甲板上に一同寄り集まり月を見る。

・・・・・十三日 西風昨日同様。退助、只八お小姓中の若者ども、蒸気船というものは

風雨天気の差別なく大洋中を航海するこそ趣意なれ。

この位の西風に出航しないのは、船将の職掌立ち難きなど議論甚だやかまし・・・

十四日 夜明けころより雨すこしやむ。・・・夕方頃ようよう下田の山を見る。

一同安心す。・・・・実に蘇生の心持ちなり。

すぐさまお上陸、以前の法福寺へ御止宿遊ばさる。・・・

十五日 西風少しも止まず。・・・・然るに只今順動丸のお船、当港に入った由。

勝麟太郎殿、上陸し・・・このことを御上が聞きなされ、今夜勝麟太郎殿を

御本陣へお招きになり、・・・お酒出、色々話あり。・・・・・・

下田にある宝福寺(日記には法福寺と記載されている)というお寺で、

勝海舟と山内容堂が会談し、龍馬の脱藩の罪が許されました。

そしてこのことが、龍馬が飛翔することにつながっていきます。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

この時酒の飲めぬ勝海舟に対し、山内容堂は大杯に酒をなみなみと注ぎます。

勝海舟はそれを飲み干します。

「勝が飲んだ、勝が飲んだ」と大いに喜び、龍馬を許したといいます。

勝海舟は念のためにと「証拠となるものを」と希望しました。

山内容堂は白扇にひょうたんの絵を描き、

「歳酔三百六十回、鯨海酔候」と書いたものを手渡しました。

・・・・そんな逸話も・・・大杯と扇子、宝福寺には展示されています。

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コメント

下田にこういう話があったとは!坂本龍馬、勝海舟の話、良いですね。

投稿: たむたむ | 2011年11月11日 (金) 23時15分

コメントありがとうございます。
江戸へ向かう、江戸から帰る。
海路が主だった道であった当時、
海が荒れれば必ず下田港に入ることになりました。
風待ち港ならではの人の交流がありました。

投稿: tomiyo | 2011年11月12日 (土) 08時25分

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