« 下田の歴史 私のルーツ その3 坂本龍馬の飛翔 勝海舟と山内容堂 | トップページ | 下田の歴史 私のルーツ その5 安政の大地震・下田の大津波 »

下田の歴史 私のルーツ その4 ペリーの黒船 浦賀から下田へ

嘉永6年6月3日 下田沖神子元島周辺で黒船4隻が確認され、

同日浦賀へ来航。

これが、「太平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせんというお茶の銘柄) 

たった四杯で夜も寝られず」の黒船ではないかと思います。

翌年の嘉永7年3月3日日米和親条約が調印され、下田函館即時開港となりました。

(ペリーがポーハタン号に搭乗し下田に来航したのは、嘉永7年3月21日です。)

嘉永7年3月13日 吉田松陰は黒船が下田に向かうという情報を得、

3月17日に伊東で2隻の船を見ています。

これがサザンプトン567tとサプライ547tです。18日に下田に入港。

3月20日にレキシントン691tバンダリア700tが入港。

3月21日ペリー搭乗のポーハタン2415t(蒸気船)ミシシッピー1692t(蒸気船)が入港。

あれ?マセドニアン1726tていつ入港したんだろう・・・遅れて4月5日でした。

そういうことで、ペリー艦隊7隻が下田港に停泊したわけです。

1113b

5月14日 下田条約の交渉が開始され、22日妥結、25日調印。

(遊歩区域・米人埋葬地・水先案内港務官)

下田は異人さんが自由に歩きまわることのできる「特区」になりました。

(1265人もの乗組員が下田の街に上陸できたということですね。たぶん・・・)

ここからたくさんのエピソードが生まれることになります。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

エピソード1

日本で始めての「洋楽コンサート」

ペリー2回目の上陸は嘉永7年5月13日、了仙寺において下田条約の交渉に入る。

ペリー上陸に際し礼砲が13発、先頭に大砲四門を曳き、

軍楽隊二組と剣付鉄砲の将兵400人が上陸し、

了仙寺境内で調練をしてみせる。

おそらく日本初の洋楽コンサートであったろう。

「太鼓大小色々、笛、ちゃらめる、横笛、らっぱ、その他色々の笛これあり」と記されている。

異国の見慣れない服を着た兵士達、聞いたこともない音楽。

下田の町民は、どんな思いでこれを見ていたのだろうか・・・。

エピソード2

了仙寺での饗応ー芸者はダメよ

ペリーが(他7名)初めて上陸したのは3月24日。

幕府の応接方が迎える中、了仙寺で饗応が行われた。

この饗応の席に酌婦が必要ということになり、

下田の奉行所は大変苦労することになる。

芸者では国の接待に場に相応しくないというのが、幕府応接方の言い分。

はたして民間で「異国人の前」に出てくれる女性がいるのか。

しかるべき家柄で、若くてしかも美人でなくてはいけない。

苦労の末選ばれたのが以下の3人。

坂下町御影屋七兵衛(組頭黒川嘉兵衛殿旅宿)の妻

池之町源兵衛娘

池之町医師貞庵娘

(ココに住んでいたのよと、ブログでは指し示せないのが残念)

*エピソードは尽きません・・・

*下田日米協会が編集した「幕末下田ばなし」を参考にしています。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

日本初の領事館が置かれた玉泉寺には、米兵士のお墓があります。

今年の第7艦隊司令官交代式で司令官スコット・H・スウィフト中将に、

「我々は150年以上も昔から、

日本で亡くなった米海軍兵士のお墓を守っている。

それが日本の心だ、民間外交である」と、お話させて頂きました。

さて、米国の圧力に屈しびっくりするほど不利な条約を締結させられた「開国」。

誰かが言っていましたね。「TPPは平成の開国だと」・・・・

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

今ニコ動で参議院での質疑をみていました。

自民党と民主党の学び方の違い、歴然です。

|

« 下田の歴史 私のルーツ その3 坂本龍馬の飛翔 勝海舟と山内容堂 | トップページ | 下田の歴史 私のルーツ その5 安政の大地震・下田の大津波 »

下田の歴史 私のルーツ」カテゴリの記事

コメント

日本開国の話、もっと教えてください。下田との関係を。TPPを平成の開国という人は、歴史を学んでない人のいう言葉。当時の開国はTPP程度の話でないのです。

投稿: たむたむ | 2011年11月11日 (金) 23時21分

コメントありがとうございます。
2月に大きな課題を頂戴しておりますので、
追記をしながら厚みのあるものにしてまいりたいと思います。

投稿: tomiyo | 2011年11月12日 (土) 08時39分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 下田の歴史 私のルーツ その3 坂本龍馬の飛翔 勝海舟と山内容堂 | トップページ | 下田の歴史 私のルーツ その5 安政の大地震・下田の大津波 »